2004年5月23日(日) <第900号>
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♪祝 900号♪
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引き続き、1000号までご愛読ください。
<バックナンバー>
● 「たたら」(創刊号)
● 「3次元CAD 」(第100号)
● 「洗浄状態の解析」(第200号)
● 「潤滑油」(第300号)
● 「声を出せ!」(第400号)
● 「プラスチック」(第500号)
● 「割増賃金に関する基礎知識」(第600号)
● 「親が働いて、言葉で子どもに伝えていく」(第700号)
● 「コミュニケーション」(第800号)
○ 聴覚
人間の聴覚は、自分が話す番か、相手の話を聞く番かを決める手がかりとなる、
ほとんど知覚できないくらいの間とか、抑揚のちょっとした違いなどという、
会話のニュアンスに合わせてかなり調整されています。
○ コミュニケーションの暗黙の規則
幼児は親からのコミュニケーションの暗黙の規則−いつ話しいつ聴けばよいかに
関する知識、会話のリズム−を獲得するようです。それらは、これもまた徐々に
学習していく個々の単語と同じくらい、重要です。
このリズムは、多くの微妙な手がかり−アイ・コンタクト、かすかな頷き−に
よって決まってくるのですが、幼児はこれらを母親や父親との"ベビートーク"に
従事するなかで学習します。
そうした対話の分析から、生後たった2ヶ月でさえ、赤ちゃんは大人の会話の
パターンをいくらか把握していることが分かっています。
< 心と脳 >
【01】見えないのに見える
○ 善光寺の戒壇巡り
人間の脳の驚くべき能動性が体験できると言われています。
そこは長野県の善光寺の本堂地下にある「戒壇巡り」と呼ばれる場所です。
暗闇の中、手探りで極楽への鍵を探り当てると、幸せになれるという趣旨です。
手探りで壁を伝って歩いていくと、実際には何も見えないのだけども、
自然と部屋の構造や回路の構造が推測され、どこに壁があって、
どに天井があるかが視覚イメージとして感じられる気がします。
※錯視図形
【02】心に見えるもの
「心に見えるもの」=意識
「心に見えないもの」=無意識
○ 森の中を歩いていて、突然現れた蛇を見て驚く
私たちの体は凍り付き、身構えます(「危険」なものであるという粗い価値判断はある)。
この時点では、自分が何か危険なものに出会ったという認識はあるが、
それが具体的にどのようなものであるかは分かっていません。
それが「蛇」だということが分かれば、それから、ゆっくりと後退して逃げ出すかとか、
あるいは枝で突いてみるとかします(より高次の判断ができる)。
【03】「ブラインドサイト」(盲視)
○ 不思議な能力
「何も見えない」(ブラインド)のに、ある程度の視覚的認識能力(サイト)が残っています。
ブラインドサイトの患者のうちには、ボールを投げられると、ボールをキャッチする動作が
できる例があります。
患者は、どうして、一切見えないのに適切な行動(視覚的弁別)をすることができるのでしょうか。
それは脳の中に視覚情報を解析する何らかの経路があるのでしょうか。
【04】どうして他人の心が読みとれるのか
○ 名作「東京物語」の一場面から
母親が死の床に伏しており、その周りを子どもたちが囲んでいます。その場面では、子どもたちの身体が、同じ方向に傾いています。子どもたちは、示し合わせて、意識的に同じ方向に身体を傾けているわけではなく、母親を悼む気持ちがお互いに作用しあって、自然(無意識)に母親の方に身体が傾いていきます。これは人間における無意識のうちに共感する能力を表しています。
「他人の痛みがわかるような子どもになってほしい」
他人が悲しんでいれば、自分も悲しみ、他人が喜んでいれば、自分も喜びます。また、相手が泣いたときに、自分も泣く。相手が笑ったときに、自分も笑う。これもまた、相手の心の状態に感応する能力です。
他人に共感する能力は、人間が社会生活を円滑に営む上で欠かすことのできないものです。
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