2002年9月11日(水) <第280号>
■中小企業の戦略的思考・・1
「市場における競争について」
(序)
ドッグイヤーと言われる昨今、技術の開発、改善のスピードは想像以上に早い。
昨日まで先端技術であった物が、今日は普通の技術、明日は時代遅れ、何とも早い時間の経過である。中小企業の経営は大企業と違って、体力から言っても赤ん坊と同じである。一寸した怪我でも見逃しておれば、出血多量で死亡。少しでも油断すれば前門の虎どころか、後門の狼に一噛みされ、一巻の終わりとなる。
我が国は第二次大戦の後、何もない荒れ野の中から立ち上がり、復興を果たしたと言われるが、それは少々間違いである。たしかに工業生産能力は敗戦により壊滅していた。天然資源は全く存在しない我が国土である。しかし、そこには高度に教育された国民と、世界水準の技術が存在していたのである。つまり技術資源大国であった。
朝鮮半島及び台湾は30年以上、我が国の植民地として統治されていたので、技術と教育が制度として、高度な位置で定着することは不可能であり、戦後の産業構造構築、及び技術水準において、決定的な格差を生じさせることとなった。
その上、朝鮮半島は戦後間もなく南北の動乱、台湾は大陸からの国民党の移動と、それぞれが大きな問題と混乱に直面する事となり、産業技術の育成どころではなかった。
これらのことが、我が国との産業構造や技術格差の決定的原因となり、長い間、発展途上国と呼ばれる事となった。戦後の混乱の中、朝鮮半島の動乱は我が国に、はからずも大きな需要を喚起する事となり、この効果で我が国は大きく経済発展する事になった。
技術資源は一朝一夕の問題ではなく、国民の初等教育に始まり、先人が残した文化、そして最高学府による高等教育、等々様々な要素の結合の結果であり、天然資源を持つのと同じくらい、いや、それ以上に大きな国力である。
我が国は江戸時代から職人技術に対し、人々は何よりも大きな評価をしてきた。このような文化は韓国や中国には存在していない。朝鮮半島では古来より儒学、朱子学が尊ばれ、現在でも職人技による物づくりより、哲学や宗教を極めることに、より大きな社会的価値観が有るようだ。
又中国では、付加価値にこそ経済の実態を見ており、職人技の取得、新技術開発などは二の次となる。これらの思考方向は、それぞれの地域の歴史的文化であり、善し悪しの問題ではない。
現代社会においては「人権と自由」が最も重い意味を持っている。憲法や世界人権宣言に定められているだけではなく、自由競争、自由な発想、生き方の自由、等々自由とつけば大体において正義となる。
特に企業社会では、競争によって消費者に恩恵を与えるため、独占禁止を旗印に各国とも、企業間の競争は自由に行わせている。競争と言う物は勝者と敗者が存在をし、誰しも勝者になりたいと願い、全力を投入して競争を行う。
かって柔道は体重別、等というルールは存在せず、軽量級も重量級も混在したまま試合は行われた。しかし国際競技として公認されるにあたり、ヨーロッパ的合理主義とでも言う考え方で、ボクシングやレスリングの様に、柔道も体重別のルールで運用される事となった。
これは柔道が、古式を尊ぶ伝統武術から、近代スポーツへと生まれ変わった事を示す物で、決して間違った決定とは思わない。
ビジネスにも自由な市場と自由な競争は保証されているが、行うべき競争と行わない方が良い競争がある。言い換えると、企業として参加しなくてはいけない種目と、傘下しない方が良い種目とがある、と言うことである。
それには真のビジネスの目的と、真の市場からの要求を理解しなくてはならない、と言うことにも通じる。
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