2010年6月23日(水) <第2553号>
− 『理解』と『納得』は違う −
他人の言葉に、私たちはよく「わかる、わかる」と応じる。
ところが、話が自分のこと、とくに自分が思い悩んでいることになると、
「わかる、わかる」というこの言葉、逆に事態をこじらせてしまう。
一人で思いつめ、考えあぐねているとき、ひとはだれかに聴いてほしいと思う。
そのときはたぶん、こうするしかないとほぼ自分でも感づいているのだが、
踏ん切りがつかず、それでだれかに聴いてもらい、「そうだね」
と背中を押してもらいたがっている。
意を決して、大事なことをぽつりぽつりと口にしてみる。
そのとき、調子よく「わかる、わかる」などと返されると、
「そんなに簡単にわかれてたまるか」と言い返したくなる。
それどころか、「何がわかったの?」と嫌みの1つも言いたくなる。
反論されると、意見を訊くつもりだったはずなのに、「言わなきゃよかった」と後悔する。
同じことは、実は聴く側でも起こる。
「言っていることはわかるけど、わかりたくない」というこだわりという意地のようなものが、
しばしば首をもたげる。
ここで、「わかる」ということにはたぶん二つのことが含まれている。
1つは、理屈でわかること、つまり『理解』。
いま1つは、理屈で割り切っても割り切れないままに残る想いにそれなりのけりをつけること、
つまり『納得』。
ひとがよく、「理解できるけど納得できない」と口にするのもそういうわけである。
たがいに一歩も譲りあうことなく、相手をなじり、ののしるばかりだった夫婦が、
万策尽きて、歩み寄りの余地すらなくなり、合意は無理とあきらめたそのときにようやく、
『わかりあう』ということが始まる。
『断念』によって心のステージが変わる。
そのときはじめて、土俵から最後まで降りずに、この苦しい果てしのない時間を共有して
くれた相手への思いやりがかすかに芽生える。
ともにもがき苦しんだその時間を確認したあとにしか、納得は起きない。
「理解はできないけれど納得はできる」という言葉がふと漏れもするのは何か・・・・・・。
− 明日(6/24)は『1421.世論というのは、都合よくできている。』を掲載します −
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