2003年8月23日(土) <第626号>
■人の心を動かす言葉■
− その1 −
− その2 −
熱意(「抑制された興奮」)というものは、うわべだけの、底の浅いものではなく、人間の奥底からわき出るものです。
人に今までの5倍もの熱意を持つようにさせるとき、『ありがとう』」と言うと、とにかく怠けがちな人を駆り立てて何事かを成就させます。
【16】<逆境を転じる>
○女房にはまだ手の指が2本残っているのです(ハンセン病患者)
「不自由だろうけど、体を大事にしろよ」
「部長さん、何も不自由はありません、ありがたいんですよ」
「ありがたいとはどういうことだ」
「部長さん、おれは指は一本もないけど、寮に帰ると、同病の家内がいます。女房にはまだ手の指が2本残っているのです。ありがたいじゃありませんか。もし女房もおれと同じ、手に指が一本もなかったら、それこそ大変だけれどありがたいことに、女房になお指が2本あるのです」
【17】<文章の上達をほめる>
○迫力のある書き方(作家田辺聖子さんを育てた先輩 原田常治・婦人生活社社長)
田辺聖子さんは「婦人生活」の懸賞小説で佳作に入選しました。原田社長は、東京からわざわざ尼崎の家に来て長編にするようみごとに説得力でしゃべり続けました。
第3回目を書いて送ると、「大変迫力のある書き方で上出来だと思います。大体3回目には一つの形になる、軌道にのるものだという私の予定通りになってくれたことを嬉しく思います」
そのときのことを田辺聖子さんは、嬉しくて逆立ちしたいくらいだったと書いています。
【18】<気づかせる>
○間違っている、と答弁してはだめだ(元首相 竹下 登さん)
佐藤内閣の官房長官当時、国会答弁について大先輩から諭されます。
「野党が間違った質問をしても、間違っている、と答弁してはだめだ。ていねいに答えてあげて、『ああ、質問が間違っていたな』ということに気がつくような答弁ができたら大臣として一人前だ」
竹下さんは、この当時から相手のプライドを傷つけることなく、万事を平穏に納める術は上手かったのでしょう。
【19】<教師の生き方をほめる>
○私たちがあなたのシンフォニー(1995年アメリカ映画『陽のあたる教室』)
将来は大作曲家になろうという夢をもった高校の音楽教師、ホランド先生の人生を描いた感動溢れる名作でした(当時、妻と一緒に見ました)。ホランド先生は30年間の教師生活を終え、彼が学校を去る日、卒業生と在校生が密かに企画した謝恩送別会で今は教え子がホランド先生に捧げたスピーチがこのほめ言葉です。
「見てください。あなたは、ここにいる全員の人生に触れ、一人ひとりをよりよい人間に育てて下さいました。私たちがあなたのシンフォニーです。私たちはあなたの作品のメロディーであり、あなたの人生の音楽なのです」。
【20】<夫の人柄をほめる>
○すばらしい人生をありがとう(作家遠藤周作氏の夫人遠藤順子さん)
「女としてね、惚れた人と一生添い遂げて、最後まで惚れたままでいれられたのだから、とてもとても幸せです。」
夫人順子さんが対談の中で、そのあとに「女として最高に幸せな一生だったと思います。主人に、すばらしい人生をありがとう」と言えるとは、何よりの夫に対するほめ言葉でした。
【21】<父の生き方をほめる>
○父のように生きたい(中学2年生の女生徒)
彼女の父親は脳性麻痺を患い、小さいときから車椅子の生活です。でも、不自由な体でありながら、国体で短距離などにも出場した父親です。
「筆一本握れること。歩いたり、好きなスポーツができたり、そんな当たり前のことができる喜びや素晴らしさ、それを父は私たち教えてくれました。そして父の話が会場の人々の心を動かしていく様子を見て、私は涙があふれてきました。」
そして「父のように生きたい、私は心からそう思いました。」
胸を張って語る彼女と、父のように生きたいと言わしめた父の存在感に感謝します。ありがとうございました。
【22】<弱者をいたわる>
○お兄ちゃんは、家族の"お経"です(女子中学生の作文から)
彼女の兄は重度の心身障害者です。彼女は学校で友達からからかわれ、泣きながら訴えると、母親は「それより、みんなでお兄ちゃんをしあわせにすることを考えようじゃないか」といいました。
母親の話しを聞いて、彼女は「私の家庭は日本一しあわせな家庭だ」に気がつきました。
「身体の悪いお兄ちゃんを心配させないために、みんなで声を荒立てないように気を使っています。どんな辛いときでも笑っています。お兄ちゃんは、私たち家族の"お経"なのです。お兄ちゃん、ありがとう」
【23】<故人を懐かしみほめる>
○パパにキスするからね(作家山口瞳夫人)
山口瞳さんは肺ガンを病み亡くなりました。息子の正介さんは母と二人きりになったことがわかり、声を上げて泣きつづけていました。
突然、母親(山口瞳夫人)が正介さんに「あたし、パパにキスするからね」と言って、まだ微かに体温の残る父の唇に音を立ててキスをしました。そしてもう一度。正介さんは<それはまるで残された命の最後の息吹をむさぼり吸いつくかのようだった>と記しています。
【24】<相手の行為に敬意を示す>
○お父さん、ほんとうにありがとうございます(作家藤原ていさん)
「お父さん、ついに遠くまで来ましたね、満足ですか」
「うん」
「二人で来られて、しあわせですね」
作家新田次郎さんとヨーロッパ旅行に出て、ドナウ河の美しい流れを眺めながら交わしました。
このとき、藤原ていさんは、日本の敗戦で夫を残して幼い子ども二人と日本に帰国するために、まさに飢えと寒さと死の恐怖、そして絶望のなか約一年も北朝鮮を放浪した日々を思いました。
万感を込めて「お父さん、ありがとうございます」といいました。夫は「うん」と言って横顔を見せたままドナウ河を見つめていました。「ありがとうございます」「うん」、この会話のなかに夫婦の歴史や絆を感じました。ありがとうございました。
【25】<生徒を生かすほめ言葉>
○体育ならできる(『愛をこめて生きる』渡辺和子さん)
全国から札つきの非行少年少女が集まる高等学校では、教師たちが、生徒を「しか」で評価せず、「なら」で評価しました。「あの子は体育ならできる」というように、その子の「できる」を認めるのです。
渡辺和子はさらにこう記しています。
「一人の人間を殺すのに、必ずしもピストルや刀を必要としないように、人を生かすのもまた、相手を生かしたいと願う心と、励ましのことばで十分なことがあるものだ。人は他人の期待に応えて生きている。何でもいい。良いところを見つけてほめるとき、相手は不思議に変わってゆく」
【26】<生徒の資質をほめる>
○ダイヤはダイヤで磨く(新しい担任を持った高校教師)
生徒たちに問いかけました。
「ダイヤモンドは何で磨くか知っていますか」
誰も答えられずにいると、先生は静かにいいました。
「ダイヤはダイヤで磨くのです。それ以外のもので磨くことはできません。あなた方はダイヤモンドです。お互いに磨き合ってください。あなた方を輝かせるために、私もダイヤモンドにならねばならぬと思っています」
【27】<好意・親切にこたえる>
○ありがとう、また来てね(老人ホームのおばあちゃん)
暴力教室で有名な中学校の若き教師は、生徒たちの乱暴な行動は彼らが世間から無視されているという思い込みが原因ではないかと思い、課外授業に町の老人ホームを訪問しました。
最後におばあちゃんから「ありがとう、また来てね」と言われました。人から「ありがとう」と言われたのは初めてで、それが嬉しくてたまらなかったのです。すると、最初の訪問でクラスの半分の子が『普通子』に変わりました。二回目の訪問が終わると、大方の子が目つきも和らいで、子どもらしくなったそうです。
【28】<親族をほめる>
○そうよ、かあさんも ながいのよ(童謡「ぞうさん」)
だれもが一度は歌った、歌ってもらった童謡です。鼻が長いのは、他と変わっているという点で、からかいの種にもなり得ますが、ぞうの子は嬉しそうに答えます。「そうよ、かあさんも ながいのよ」と。
ぞうの子が、明るく晴れやかにそう言えるのは、「かあさんがすき」だからです。ぞうがプライドが高いのは長いお鼻(自分)も大好きだからでしょうね。
【29】<長所をほめる>
○みんな、どこかいいところがあるんだからね(女優沢村貞子さんの母親)
女優沢村貞子さんは、小学校2年生の時に「全甲」(「オール5」に当たる)の通信簿を得意満面に広げて母親に語りかけたところ、叱られました。
「つまらないこと、お言いでない。初ちゃんは、算術は下手かも知れないけれど、小さい弟たちの面倒をよくみるし、ご飯の仕度だってお前よりずっと上手だよ。人それぞれ、みんな、どこかいいところがあるんだからね。先生にちょっとほめられたくらいで、特別だなんて、いい気になるんじゃないよ」
いろんな職業の人がひしめく実生活の只中で、学校の成績を鼻にかけるくらい見苦しいことはないという人生智です。
【30】<同情せずほめる>
○脚を怪我しているのに立派でしょ(アメリカ人のお母さん)
アメリカ人のお母さんが三歳くらいの息子に語りかけています。
「ごらん、あの鳩を!脚を怪我しているのに立派でしょ。一所懸命にあるこうとしているわね」
日本人の母子だったら、同じ情景を見ておそらく次のように言うことが多いのではないでしょうか。
「あの鳩かわいそうね!」
「うん、かわいそう」
アメリカ人はこのような場合、ハンディをおった動物の自立性を勇気を持ってほめ、子どもにも苦難にたえる意志を教え込むのです。
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